ふねだすぞ

id:nuff7 五月五日の手記より(副題:模倣からなる習作)

今日も明日も休み(今日と明日だけ休み)なので昼から飲むべきでありそれならば公園にでも行こうかと思ったら生憎の雨。近所の立ち飲み屋も三時からだしなー、どうしよっか? と Google に話しかける寸前で「山家」を思い出した。そうだ、山家に行こう。

山家(やまが)とは渋谷区は道玄坂のふもとに煙ブリブリであるところの居酒屋。文学に造詣の深い諸兄ならたちどころに、情報に首輪を架された青年が「仲間は嫌いだが絶対にリタイアしない馬鹿だ」と吐瀉物まみれの店内で噛み締めた店として想起されるだろう、あの山家である。なぜその山家をいま思い出したかというと、24 時間営業なのだ。昼の一時からぶりんぶりんだ。かかる飲み屋につきづきしいドレスコードを意識してなるべくよれよれのスーツに身を固め、髭を剃らずに出かける。渋谷駅に着くと柴田あゆみさんが既に待っており、休日だというのにスーツを着たおれを見て「おしゃれですね」と困ったように笑った。

山家に着き、黒ホッピーセットを頼む。と、柴田さんも「じゃあ同じものを」と言う。「初体験ですよ、ホッピー」とまた笑う柴田さんに、だいたいの作り方を教えて乾杯。「…結構いけますね」とつぶやく柴田さんの目は不敵だった。

コブクロ手羽先に刺身をつけて盛大に飲む。日頃のお酒はシビアで実際的な話が多いという柴田さんは、ここぞとばかりに漠然とした話題を投げかけてくる。
「私は結局体育会系のコミュニティに所属しているわけですけど、文化系って怖いイメージあるんですよ。こう、こだわりが細分化されてそうというか、こちらの教養とかストックが足りないとたちどころに糾弾されそうな」「そんなことないと思いますよ。そもそもは知りませんけど、最近のほとんどの〈文化系〉を名乗る団体は、どちらかというと〈文化〉よりもそのコミュニティの居心地を愛しがちです。なんにせよ、ただそういうコミュニティに属したいだけであれば、いくらでも受け入れ先はあるはずです」「そうでしょうか。彼らはとにかく〈文化〉に厳密で貪欲で、だからこそああやって知識や教養を深めることができているのではないでしょうか」「でも柴田さん、そんな教養人がどこかのコミュニティを代表して出てきているのに会ったことがありますか。結局のところ強いのはソロです。メロンが終わったいま、グランジアイドルとして柴田さんもソロとして強くなってほしいと、僕は思います」「はは、ありがとうございます」。柴田さんに言いながら、おれは自分自身にも言い聞かせていた。ソロとしての強さ。

おれの深刻な表情を見透かしたように、柴田さんは「眞鍋さんのおうちに行きましょうよ。新しいパソコン、見せてください」と言ってくれた。さっそく会計を済ませて我が家へ向かう。月のはじめに購入したパソコンは新しく、ぬらぬらと艶めかしい黒さで佇立していた、デスクの上で。「眞鍋さんの前のパソコンは大分古かったですよね。たしかメモリが 256MB で」「嫌なことを覚えていますね。youtube の動画ですら途中でフリーズしたのはいい思い出です」「今なら思う存分、眞鍋さんの嫌いなニコニコ動画が見られると」「ええええ、勝手に見てください」柴田さんは嬉々としてその動画サイトにログインして、うっとりと『赤いフリージア』を聴く。自分だってこのサイトが嫌いなわけじゃないんです、ただコミュニティ性というものとどう折り合っていいかわからず、と口に出しかけたのを制するように、柴田さんが振り返って「便利な世の中ですよねえ」と笑う。今日の柴田さんはよく笑ってくれる。笑うというのは攻撃的な行為で、だからこそ優しい人には辛いこともある。

終電も近くなったので家を出る柴田さんとともに駅へ向かうと、途中で柴田さんが「…すみません、トイレ、ないですか」と小さな声で言う。ちょうど行きつけの立ち飲み屋があったので入り、柴田さんをトイレへ促して自分はカウンターの一角に座を占めて「一人です」と店員に告げる。「とりあえず黒ホッピーください」

戻ってきた柴田さんに一応酒をすすめると、「明日があるので」とそそくさと立ち去る。交通費くらい出してあげたほうがいいだろうかと逡巡する間に見えなくなるほどのスピードで柴田さんは。何の仕事だろう、メールして訊いてみようかな。…いや、訊くまい。ホッピーはあっという間に空き、焼酎に移り、そこから先のことは覚えていない。眞鍋さんはブレーキが無いのがたまにキズですよね、と柴田さんの声でいつか聞いた。日常に、ほんの少しの柴田さんを。ブレーキを。