グッド・バイ

雑誌で久しぶりに見た坂本氏(ゆら帝)の外見が記憶よりかなりパンチ効いてたので、思わず「しびれ」を引っ張り出して聴く。ジャンガジャンガジャンガジャンガジャンジャジャンジャンジャジャン(『夜行性の生き物三匹』)。このアルバムをよく聴いていた頃はあまり考えなかったけど、この後のゆら帝にさらに顕著になっていくループ感は雑誌がいうようにたしかにミニマル的かもしれない。ましてや前作=3rd の頃なんて、当時のぼくはふつうのロックの子だったので細かいことはよく分からなかった。いまでも分からないが、当時はひどく分かっていなかった。なにも分かっていなかったのだった。

あるバンド、それは外野から見れば鉄板でビジュアル系なんだけどファンに言わせれば凡百のお化粧バンドとはわけが違うテクノクラートたち、つまりまあビジュアル系バンド(便宜上そう呼ぶしかないではないか!)、そのフロントマンはのちにソロでニューウェーブ方面に傾倒していくのだが、そんな古いドイツ映画から名をとったバンドを愛する女性と、当時ぼくは付き合っていて、でも細かいことの分からない自己耽溺のひどいぼくはすぐだめになった。一緒にいた短い時間に、インターネットに無縁の彼女のためにぼくは p2p でそのバンドの入手困難な音源を手に入れ、CD-R に焼き、手書きの曲リストをつけて渡した。彼女はそのリストを見て僕の字が好きだと言い、ぼくはぼくが死んだらそれ見て思い出してほしいと言い、そういう発言の鬱陶しさなどまるで省みなかった。ただぼくは目の前の彼女をよく見てはおらず、ゆら帝はふつうのロックバンドだと思っていて、ビジュアル系は全部ビジュアル系だと思っていて、ただ独白だけを日々重ねていた。そこに意識的になろうという思いが若者を blog に導いたのだろうか。彼女の目の届かないインターネットという砂漠へと、若者を。

という物語を頭にひらめくまま上書き保存していく日曜の午前、考えてみればお別れの神社は今日と似たような天気で、よく晴れた日なのが悲しかったのを覚えている。そういえばいまのこの気持ちはあのときの心持ちによく似ているようで、ならばと口の中にへばりついた昨夜の酒を洗い流すべくラム酒をロックでオッスオッスしているのも繋がりがあるようだ。思い出すことと思いつくことに客観的な違いが無い以上、現にあったことなんて誰が知るだろうか。ただ感傷はどこかからやってきて、あなたのことは頭に浮かぶ。装丁家を夢見ていたあなたはお元気でしょうか。ぼくは本をつくって売る会社の、片隅で生かされています。あなたが進みたがっていた道の端にいます。だからというわけじゃないけど、あの頃あなたが聴いていた曲が、今更ちょっと好きだったりする。

君には新しい僕ができて
僕には新しい君が
新しいふたつの君と僕には
新しい暮らしが

ありがとう よろしく 新しい僕に
君に会えてよかった

あなたは笑うだろうか。どこかから来た感傷、あのころ二人で何をしたろうか。桜が散る季節にはもう気持ちは離れていて、それでも彼女に騙されて p2p で不正ダウンロードさせられたことだけは後々まで憤りを残した、まるで枝に残る花弁のように。そのブーレーズシュトックハウゼンの未発表音源を彼女は大喜びで受け取り、ぼくの手書きの曲目リストにキスをして、でもゆら帝はただのロックバンドだとなじったけどぼくは反論なんてしなかった。オフ会で会った彼女はぼくのサイトなんか見てなくてでもすごくかわいかったんだ。いつしかブーレーズはビジュアル系に傾倒してあなたは神社になったけど、その少しの寂しさもラム酒で流しこんでぼくは生きている。シュトックハウゼンがグラスに氷を落とす。彼女がぼくの blog を好きだと言う。